始まりは、好きな歌が
うたいたかったから
最初はエルヴィス・プレスリーなどの歌詞が知りたい一心で、米軍のラジオ放送にかじりついて歌詞をノートに書き留めていたんです。カセットテープもない時代ですから録音なんてできないし、歌が聴けるのはその場限り。でもいくら耳を澄ましても、わからないものはわからない。だからノートはブランクだらけでしたが、大好きな歌の歌詞が少しずつわかっていくことで、楽しく、また励みになりました。
私は英語が勉強したかったのではなく、その前に外国の映画や音楽が好きだったのです。その興味を満たすためには、英語という「ツール」がどうしても必要でした。大好きなことのためだったから、ヒアリングも苦にならず、自然と楽しくできたんだと思います。そう、大事なのはモチベーション。それがなければ学ぶ意欲が湧きません。上達するためになくてはならないものです。
20年待って、ようやく夢かなう
大学卒業後、私は保険会社に就職しましたが、字幕翻訳家になる夢を諦め切れずOL生活に見切りをつけ、アルバイトでつなぎながらその夢を目指すことになります。
そんな私が初めて人前で英語をしゃべったのは、なんと記者会見でした。30歳になるまで日本を出たことはおろか、外国人としゃべったこともなかったのに、なかば無理矢理に、来日した映画プロデューサーの通訳を頼まれたのです。無我夢中で取り次いだけれど、頭は真っ白、内容はめっためた。もう頼まれることはないだろうと思っていた私に、意外なことに次も、その次も依頼が舞い込んだのは、映画ファンゆえの知識があったからでしょう。
フランシス・フォード・コッポラ監督が来日した際に通訳したのを契機に、『地獄の黙示録』の日本語字幕を担当することになったのは43歳のとき。新人も同然の私に突然降って湧いたビッグチャンスは、どうやら監督からのご指名のようでした。映画が好きというそれだけの理由で字幕翻訳家になりたくて、20年もの間ずっとアルバイトでつないできた私の「夢」がかなった瞬間でした。
活字離れに日本語の未来を思う
そうして字幕翻訳家として一本立ちし、週に1本のペースで仕事をこなしてきましたが、ついにその字幕を知らない世代も出てきました。今は日本でも海外のように若い人には吹替版が人気のようです。日本語字幕は、オリジナルの音声で映画を観たいという日本人ならではのこだわりや美意識あってこその「文化」でしたが、最近は字幕を読むのが苦手な人も多いのだとか。活字離れも進んでいると聞きますし、この先、日本語はどうなっていくのか心配になってきます。
言葉はツール、
大切なのは「目的」
日本語でも、英語でも、「言葉」はツールです。私が海外の映画や音楽が大好きだったから英語というツールを手に入れたように、皆さんにも、何かツールを役立てる目的があるはずです。情熱を注ぐことができる目的がなければ、勉強は長続きしないもの。情熱を持って取り組みさえすれば、勉強自体が楽しみになるでしょう。皆さんも、ご自身の情熱を胸に、楽しみながら英語に取り組んでみてください。