HM35 ANNIV

本物の英語力が身につく、圧倒的学習方法 ヒアリングマラソン 35周年記念企画

ALC アルク www.alc.co.jp
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リレーコラム 夢をかなえる英語 英語は世界に可能性を広げる「コミュニケーションツール」

VOL5 角田信朗

リレーコラム 夢をかなえる英語 英語は世界に可能性を広げる「コミュニケーションツール」

VOL5 角田信朗
角田信朗プロフィール
1961年、大阪府生まれ。正道会館空手最高師範六段、K-1競技統括プロデューサー、レフェリー。中学時代に少林寺拳法を始め、17歳で極真会館芦原道場に入門。関西外国語大学外国語学部英米語学科卒。英語科教員免許所持。格闘家のみならず、タレント、俳優、声優、歌手、ラジオ番組のパーソナリティなどに加えて、文筆でも才能を発揮し、活躍の場は幅広い。著書に『角田信朗のフルコンタクト英会話』(講談社)がある。

等身大のヒーローに憧れて

僕が小学6年生の頃、ブルース・リーの映画が日本でヒットしました。それまでのヒーローといえばウルトラマンや仮面ライダーなど、どんなに頑張っても絶対なれないような存在だった。でもブルース・リーは実際に武術をたしなむ武道家なので、他のヒーローとは違う、生身の人間の強さみたいなものを感じたんです。「等身大のヒーローを見つけた」と、当時の僕は彼に心酔していました。
僕は彼に近付くために、映画のストーリーの音声がすべて入っているサウンドトラックを買ってひたすらセリフを覚えました。昔から何でも耳から記憶するのが得意で、東洋の方の英語だったこともあり覚えやすかったんですよね。そのうち英語の授業で先生に発音を褒められるようになって、うれしくてどんどん英語を覚えていったんです。

コミュニケーションをきっかけに

大学進学後も英語はずっと得意だったのですが、その頃はまだ英語を自分の武器にするということにしっくりきていませんでした。英語が生かせても空手ができなくなるのが嫌で大手商社の内定を断り、卒業後は結局空手の道を選んだわけです。
その後93年にK-1が日本で生まれ徐々に世界に浸透していった頃、海外の選手たちとコミュニケーションをとる機会が増えていきました。当時大人気だった“青い目のサムライ”アンディ・フグとも、英語のコミュニケーションをきっかけに信頼関係を築き、彼がスイスで企画した「K-1ファイトナイト」の統括を任せられたのです。
会場に入ってリングに立ち、集まっていたスタッフを前に僕は英語でスピーチをしました。「素晴らしい友のために、今回僕は海を越えてやってきました。みんなで最高の大会をつくりあげましょう」—————言い終えると、僕は万雷の拍手を浴びていました。

結果は後からついてきた

大学卒業後の数年間はフリーターのような生活だったので、苦労していた時期には「なんのために英語を勉強したんだろう」「商社に行っておけばよかった」と後悔したりもしました。
でもふと気付いたら、何百人もの海外のスタッフを前に英語で堂々とスピーチをしている自分がいた。拍手の音を聞きながら、「ここスイスやんなぁ。なんで俺こんなところで、こんなすごいことしてるんやろう」と不思議な気持ちになって。結局、英語を勉強した結果は後からついてきた。K-1が世界的な格闘技イベントに成長し、「大晦日と言えば格闘技」という「ブーム」から「文化」に変わった瞬間に、ファイターとしてだけでなく英語を生かして携わることができたんです。言葉がすべてだとは言いませんが、世界中でお仕事をさせて頂いたり、その国の方々に歓迎されるには英語の基盤があってこそ。僕は、英語は学問ではなくコミュニケーションツールだと思っています。皆さんにもコミュニケーションツールとしての英語を身に付けて、可能性の幅を世界に広げていって欲しいですね。

等身大のヒーローに憧れて

僕が小学6年生の頃、ブルース・リーの映画が日本でヒットしました。それまでのヒーローといえばウルトラマンや仮面ライダーなど、どんなに頑張っても絶対なれないような存在だった。でもブルース・リーは実際に武術をたしなむ武道家なので、他のヒーローとは違う、生身の人間の強さみたいなものを感じたんです。「等身大のヒーローを見つけた」と、当時の僕は彼に心酔していました。
僕は彼に近付くために、映画のストーリーの音声がすべて入っているサウンドトラックを買ってひたすらセリフを覚えました。昔から何でも耳から記憶するのが得意で、東洋の方の英語だったこともあり覚えやすかったんですよね。そのうち英語の授業で先生に発音を褒められるようになって、うれしくてどんどん英語を覚えていったんです。

コミュニケーションを
きっかけに

大学進学後も英語はずっと得意だったのですが、その頃はまだ英語を自分の武器にするということにしっくりきていませんでした。英語が生かせても空手ができなくなるのが嫌で大手商社の内定を断り、卒業後は結局空手の道を選んだわけです。
その後93年にK-1が日本で生まれ徐々に世界に浸透していった頃、海外の選手たちとコミュニケーションをとる機会が増えていきました。当時大人気だった“青い目のサムライ”アンディ・フグとも、英語のコミュニケーションをきっかけに信頼関係を築き、彼がスイスで企画した「K-1ファイトナイト」の統括を任せられたのです。
会場に入ってリングに立ち、集まっていたスタッフを前に僕は英語でスピーチをしました。「素晴らしい友のために、今回僕は海を越えてやってきました。みんなで最高の大会をつくりあげましょう」—————言い終えると、僕は万雷の拍手を浴びていました。

結果は後からついてきた

大学卒業後の数年間はフリーターのような生活だったので、苦労していた時期には「なんのために英語を勉強したんだろう」「商社に行っておけばよかった」と後悔したりもしました。
でもふと気付いたら、何百人もの海外のスタッフを前に英語で堂々とスピーチをしている自分がいた。拍手の音を聞きながら、「ここスイスやんなぁ。なんで俺こんなところで、こんなすごいことしてるんやろう」と不思議な気持ちになって。結局、英語を勉強した結果は後からついてきた。K-1が世界的な格闘技イベントに成長し、「大晦日と言えば格闘技」という「ブーム」から「文化」に変わった瞬間に、ファイターとしてだけでなく英語を生かして携わることができたんです。言葉がすべてだとは言いませんが、世界中でお仕事をさせて頂いたり、その国の方々に歓迎されるには英語の基盤があってこそ。僕は、英語は学問ではなくコミュニケーションツールだと思っています。皆さんにもコミュニケーションツールとしての英語を身に付けて、可能性の幅を世界に広げていって欲しいですね。

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